美しいボディを作るだけなら、フェラーリはここまで特別な存在にはならなかった。
速いクルマを作るだけでも同じだ。
マラネロという小さな街から生まれたメーカーが世界中のクルマ好きを魅了してきた理由は、もっと根深いところにある。
創業者エンツォ・フェラーリが何より重視したのは、エンジンだった。
最初のフェラーリからV12。
レースで勝つために市販車を作り、市販車で得た資金を再びレースへ投入する。
250 GTO、F40、Enzo、LaFerrari──時代を代表するモデルを追っていくと、フェラーリの開発思想には一本の太い線が見えてくる。
「まず速くなければならない。そして、速さそのものが美しくなければならない」
そんな狂気にも似た哲学だ。
最初のフェラーリは、いきなりV12だった
フェラーリ最初の一台は125 S。
エンツォ・フェラーリは1945年半ば、ジョアッキーノ・コロンボに新型車の設計を依頼した。
目標の一つは、エンツォ自身がかつて深く関わったアルファロメオを打ち破ることだった。
そしてエンジン形式として選ばれたのが、
V型12気筒。
しかも排気量はわずか1,496.77ccだった。
「125」という車名は1気筒あたりの排気量約125ccに由来する。125×12で、およそ1,500ccというわけだ。
現在の感覚なら「1.5Lなら4気筒でいいだろう」と思ってしまう。
だがフェラーリは最初から12気筒だった。
これだけでも、普通ではない。
ボディすらない状態でマラネロを走った125 S
125 Sの開発にはジョアッキーノ・コロンボだけでなく、ジュゼッペ・ブッソやルイジ・バッツィらも関わった。
航空機産業向け高強度鋼管を扱っていたGilcoが、軽量かつ高剛性なチューブラーフレームを製作。
そして1947年3月12日、まだボディすら載っていない125のシャシーにエンジンが搭載され、マラネロ周辺で初めて走った。
これがフェラーリという自動車メーカーの原点である。
完成した125 Sは1.5L V12から118hpを発生。
小排気量ながら6800rpmまで回る。
フェラーリの「高回転V12」という神話は、後から作られたものではない。
最初の一台から始まっていたのだ。
デビュー戦はまさかのリタイア
伝説的メーカーの最初のレースなら、華々しく優勝したと思いたくなる。
現実は違った。
125 Sはピアチェンツァでレースデビューし、フランコ・コルテーゼのドライブでトップを走っていたものの、燃料ポンプのトラブルでリタイア。
エンツォはこの結果を、
「promising failure(将来性のある失敗)」
と表現した。
しかし、その失敗は長く続かなかった。
次戦となるローマGPで125 Sは初勝利。そのシーズンだけで6勝を記録した。
「壊れた。でも速かった」
フェラーリ史の第一歩として、これ以上似合うエピソードもない。
F1で負ければ、数カ月でエンジンを作り直す
エンツォ・フェラーリの開発姿勢を象徴するエピソードが、初期F1にもある。
フェラーリは1950年のモナコGPでF1世界選手権へデビュー。
しかし125 F1はライバルより重く、パワーも不足していた。
普通なら翌シーズンに向けて改良するところだ。
ところがエンツォは待たない。
技術陣へ新エンジン開発を要求し、同じシーズン中に3.3Lの275、4.1Lの340、そして4.5Lの375という自然吸気V12を次々に開発した。
一つのシーズン中にV12を3段階も進化させたのである。
フェラーリの開発速度が異常だった理由の一つは、ここにある。
完成したクルマを守るのではない。
負けたら変える。
足りなければ大きくする。
そして勝つまで続ける。
250 GTOは「美術品」ではなく勝つための道具だった
現在ではオークションやコンクールで神格化される250 GTO。
だが開発目的は極めて生々しい。
レースで勝つためだ。
250 GT SWBをベースに、ジオット・ビッザリーニが世界メーカー選手権を戦うGTとして開発した。
特に重視されたのが空力だった。
風洞を利用しながらボディ形状を煮詰め、あの官能的なスタイルが作られていった。
つまり250 GTOの曲線は、最初から美術館へ飾るために描かれたわけではない。
空気を切り裂いて速く走るために作られた形が、結果として美しくなったのである。
これこそフェラーリデザインの核心かもしれない。
250 GTO完成前に開発者が会社を去る
250 GTOにはさらにドラマがある。
開発を主導したビッザリーニは、完成車の正式発表を見ることなくフェラーリを去った。
1961年末、エンツォ・フェラーリによる経営・組織刷新のなかで主要メンバーが会社を離れたためだ。
それでもプロジェクトは止まらず、残された開発陣によって完成へ導かれた。
フェラーリという会社は、一人の天才だけで作られてきたわけではない。
コロンボ。
ブッソ。
ビッザリーニ。
マウロ・フォルギエリ。
ニコラ・マテラッツィ。
そして多くの名もなき技術者。
エンツォの強烈な要求に応えた彼らの仕事が、跳ね馬の伝説を作った。
たった3カ月で作った512 S
フェラーリ開発史には「本当にそんな短期間で?」と言いたくなる話がある。
512 Sだ。
5Lスポーツプロトタイプへ参戦するためには、規則上25台を製作する必要があった。
そこでマウロ・フォルギエリ率いるチームが設計・製作に取り掛かった。
開発期間は、
わずか3カ月。
ミッドシップに搭載された4,993.53cc V12は、当初550hpを発生。
最高速度は340km/hに達したとフェラーリは記録している。
CADも現代的なシミュレーション環境もない時代だ。
それでも25台のホモロゲーション車両を成立させる。
フェラーリの歴史には、こうした「時間がないなら人間が何とかする」という猛烈な開発が何度も登場する。
F40──快適装備より「速さ」を選んだフェラーリ
フェラーリ開発史でも特に熱い存在がF40だ。
創業40周年を記念して作られたこのモデルに対し、エンツォが求めたのは豪華さではなかった。
軽い。
速い。
純粋。
そして妥協しないこと。
ベースとなった思想は288 GTO、そしてGTO Evoluzioneから受け継がれた。
エンジンは2.9L級V8ツインターボで478CV。
車重はわずか1,100kg。
最高速度324km/h。
0-100km/h加速4.1秒。
しかしF40で最も重要なのはスペックではない。
電子制御によってドライバーを助けるという発想を意図的に排除したことだ。
つまりF40は、
「誰でも速く走れるスーパーカー」ではなかった。
ドライバー側にも覚悟を要求した。
F40にはF1由来の複合素材まで使われた
F40は見た目こそ荒々しいが、中身は当時最先端だった。
チューブラースチール構造に複合素材を組み合わせ、ケブラー製補強パネルを接着。
フェラーリによれば、この構造によって一般的なロードカーの約3倍となるねじり剛性を確保した。
さらにボディにはファイバーグラスを使用。
ピニンファリーナが、ニコラ・マテラッツィによる技術・スタイリング構想を基にデザインを完成させた。
巨大なリアウイングも、低いノーズも、エアインテークも飾りではない。
F40はフェラーリが「レーシングカーにナンバーを付ける」という原始的な思想へ再び近づいた一台だった。
そしてエンツォ自身がその完成を見ることのできた、最後のフェラーリとなった。
Enzoにはミハエル・シューマッハも関わった
創業者の名前を冠した「Enzo Ferrari」になると、開発思想はさらにF1へ接近する。
カーボンファイバー構造。
F1スタイルのトランスミッション。
空力によるダウンフォース。
そしてV12。
当時フェラーリF1チームはミハエル・シューマッハと黄金期を築いていた。
そのシューマッハ自身もEnzoの開発に参加している。
フェラーリ公式資料でも、シューマッハの開発参加がEnzoの大きな強みだったと説明されている。
レーシングドライバーが市販車を試すこと自体は珍しくない。
しかし当時世界最高峰のF1で勝ち続けていたドライバーの感覚を、そのままロードカー開発へ持ち込む。
いかにもフェラーリらしい。
LaFerrariでは、ついにV12と電気モーターが手を組んだ
そしてフェラーリの開発思想は、ハイブリッドへ到達する。
LaFerrariだ。
「フェラーリがハイブリッド?」
登場当時、その組み合わせに違和感を覚えたファンもいた。
しかしフェラーリが電動化を選んだ目的は、燃費だけではなかった。
もっと速くするためだった。
LaFerrariは800hpを発生するV12に、163hp相当の電動システムを組み合わせ、システム総出力963hpを実現。
バッテリーにはスクーデリア・フェラーリがF1のKERSで培った技術が活用され、V12とモーターを統合するHY-KERSシステムが採用された。
電動化さえ、フェラーリの手にかかれば「性能向上の武器」になる。
ここが面白い。
フェラーリはなぜレース技術を市販車へ持ち込むのか
フェラーリを理解するとき、ロードカーとレーシングカーを別々に考えると本質を見失う。
125 Sは最初から競技を意識していた。
250 GTOはナンバー付きレーシングカーだった。
F40はGTO Evoluzioneの技術を受け継いだ。
EnzoにはF1由来の空力技術が投入された。
LaFerrariにはKERSの経験が使われた。
つまりフェラーリのロードカー開発は、
「レースで得た技術を、公道でどこまで味わわせられるか」
という実験でもあった。
もちろん現代のフェラーリは快適性、安全性、排出ガス、電子制御など多くの要求を満たさなければならない。
それでも根底には、マラネロで最初のV12が火を入れられた時代から続く思想がある。
フェラーリの開発は「数字」だけでは完成しない
フェラーリは速い。
しかし、速いクルマなら他にもある。
フェラーリが特別なのは、性能を感情へ変換することに異常なほどこだわってきた点だ。
ステアリングを切った瞬間。
パドルを引いた瞬間。
V12が高回転へ向かう瞬間。
ブレーキを残してコーナーへ飛び込む瞬間。
クルマがドライバーへ何を伝えるかまで含めて「性能」と考える。
だからフェラーリは、ときに効率だけでは説明できない機械を作る。
1.5LなのにV12。
公道車なのにレーシングカー級の複合素材。
ハイブリッドなのに目的はさらなる速さ。
合理性だけなら、もっと簡単な答えはいくらでもあったはずだ。
それでも簡単な道を選ばない。
それこそがフェラーリ最大の開発秘話なのかもしれない。
跳ね馬のエンブレムの裏には、華やかなブランドイメージだけではない。
壊れた125 Sを「将来性のある失敗」と呼び、負ければエンジンを作り直し、レースで得た技術を次のロードカーへ叩き込む。
そんな技術者たちの執念が、今もマラネロで燃え続けている。
FAQ
最初のフェラーリは何ですか?
125 Sです。1,496.77ccの60度V12を搭載し、最高出力は118hp。1947年3月に初めて走行し、その後レースへ投入されました。
なぜフェラーリはV12にこだわったのですか?
エンツォ・フェラーリはエンジンをクルマの心臓と考えており、最初の125 Sから12気筒を選択しました。その後もV12はフェラーリを象徴するエンジン形式の一つとして受け継がれています。
250 GTOは最初からロードカーとして開発されたのですか?
主目的は競技でした。250 GT SWBをベースに世界メーカー選手権を戦うGTとして開発され、空力性能も風洞を用いて煮詰められました。
F40はエンツォ・フェラーリが最後に見届けたモデルですか?
はい。フェラーリ自身もF40をエンツォ・フェラーリの最後の決定的な一台として位置付けています。478CVのV8ツインターボと1,100kgの軽量ボディを組み合わせた、極めてスパルタンなモデルでした。
LaFerrariのハイブリッド技術はF1と関係がありますか?
あります。LaFerrariのHY-KERSにはスクーデリア・フェラーリがF1のKERSで培った技術が活用されました。V12と電気モーターを組み合わせ、システム総出力963hpを発生します。
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