2026-01

同じVWなのに、国が変わると名前が変わる。フォルクスワーゲン“海外での呼び名”図鑑(ビートル/ゴルフ/ジェッタ/パサート)

フォルクスワーゲン(VW)の面白さは、ボンネットの中身だけじゃありません。国境を越えた瞬間、同じクルマが別の名前で呼ばれ、別の人生を歩み出す。その“呼び名の違い”には、文化と市場、そしてVWのしたたかな戦略が詰まっています。今回は海外Wikipedia(英語版)を軸に、クルマ好きの心をくすぐる「海外での呼び名」トリビアを、マニアック寄りにまとめます。■1:ビートルは「正式名称」すら後から付いた。世界中が勝手に愛称を付けたクルマ空冷の丸い背中は、どこの国でも“虫”に見えた。ビートル(Type1)は、1968年に公式に「Beetle」と名付けられたとされ、語源はドイツ語の「derKäfer(甲虫)」です。ウィキペディアつまり、世界が先に愛称で呼び、メーカーが後から“追認”した側面がある。ここがもう、ビートルというクルマの強さです。さらに面白いのが、新しい世代のビートル(A5)でさえ、国によって別名で売られている点。A5は「Käfer(独)」「Coccinelle(仏)」「Maggiolino(伊)」「Fusca(葡語圏など)」といった名称でも販売された、と明記されています。ウィキペディア同...

フォルクスワーゲンのレース実績は「静かな量産車ブランド」の顔を裏切るほど熱い

フォルクスワーゲンというと、多くの人は“よくできた実用車”を思い浮かべます。けれど、あのVWエンブレムは、ときに砂漠を裂き、氷雪の森を蹴散らし、標高4,000m超の山岳で酸素の薄い空を切り裂いてきました。量産車の「真面目さ」を支える裏側には、勝つために徹底して研ぎ澄ませた“別人格”がいる。その代表格が、WRC(世界ラリー選手権)とダカール、そして電動プロトタイプ「I.D.R」の記録挑戦です。ウィキペディア+2ウィキペディア+21)WRC:2013〜2016年、復帰から“4連覇”までの物語フォルクスワーゲンのワークスラリー体制(VolkswagenRMotorsport)は、2013年から2016年までWRCに本格参戦し、マニュファクチャラーズ選手権4回、ドライバーズ選手権4回を獲得。さらにWRC勝利数は44勝と記録されています。ウィキペディアここが“胸を熱くする”ポイントは、単なる強さではなく、復帰の流れが美しいことです。いきなり「ポロRWRC」で殴り込みをかけたのではなく、2011年には複数のラリーにテスト的に参加し、2012年は開発を進めながらキャンペーンを走り、2013年にワーク...

ビートルの“呪縛”を超えた日——フォルクスワーゲン開発秘話(Passat B1/Golf Mk1/Polo Mk1)

フォルクスワーゲン(VW)の面白さは、カタログスペックの外側にあります。キーをひねった瞬間の素直さ、実用のために割り切り切った設計、そして“売れるまで作り直す”執念。その源流をたどると、ビートル(Type1)と、その後継を巡る「社運を賭けた試行錯誤」に行き着きます。今回は海外Wikipedia(英語版)に基づき、VWの開発裏話を“マニアック寄り”に掘ります。■1:ビートルは「一発完成」ではない——Type60試作と“走り込み”の狂気ビートルの開発は、理想の物語というより、現場の泥臭さが濃い。1934年に「大人2人+子ども3人」「燃費条件」などの要求が突きつけられ、フェルディナント・ポルシェが開発契約を得てプロジェクトが動きます。ウィキペディアここで注目したいのが“試作車の数と距離”です。1935年:Type60の試作車V1(セダン)/V2(カブリオレ)完成ウィキペディア1936年:追加のV3試作のテスト開始、ヒトラーがV3の1台を検分した記述もあるウィキペディア1937年:30台のW30開発車(ダイムラー・ベンツ製)が総計290万km(180万マイル)超の耐久テストウィキペディア「走り...