軍用4WDの雪上テストがすべてを変えた──アウディ「quattro」誕生に隠された開発秘話

GTNET

高性能車に4WD。

いまでは珍しくもない組み合わせだが、それをスポーツカーの世界へ本格的に持ち込み、自らのブランドイメージまで変えてしまったメーカーがある。

アウディだ。

現在のアウディを象徴する「quattro」は、最初から壮大なブランド戦略として計画された技術ではなかった。

きっかけは、北欧の雪道を走っていた一台の無骨なオフロード車。

しかもアウディの高性能車ではない。

フォルクスワーゲン Iltis(イルティス)だった。

「なぜ、非力なオフロード車が雪の上ではこんなに速いんだ?」

技術者が抱いた素朴な疑問が、やがて世界のラリーを変え、アウディそのものをプレミアムブランドへ押し上げることになる。

これは単なる4WD開発の物語ではない。

アウディが「技術によって常識をひっくり返すメーカー」になっていく物語である。

雪のフィンランドで見つかった「異常に速いクルマ」

quattroの原点は、1976~77年冬に行われた寒冷地テストにある。

アウディがフォルクスワーゲン向けに開発していたIltisという四輪駆動オフロード車が、雪と氷に覆われた路面で驚異的な走破性能を見せた。

絶対的なパワーではスポーティな乗用車に及ばない。

ところが滑りやすい路面になると、そのIltisが圧倒的に速い。

理由は明快だった。

四つのタイヤで路面をつかんでいるからだ。

アウディの技術陣はここで発想を転換する。

「この四輪駆動を、オフロード車ではなく高性能乗用車に搭載したらどうなる?」

アウディ公式資料によれば、そのアイデアからIltisの4WD技術を量産乗用車で試す開発が進み、Audi 80を使ったテストへと発展していった。

現在なら「高性能4WD」は当然の答えに思える。

しかし当時の常識では、4WDはトラックや軍用車、悪路を走るオフロード車のための装備だった。

それを高速で走る乗用車へ持ち込もうという発想自体が異端だったのである。

quattro最大の難題は「4WDを載せること」ではなかった

四輪駆動車そのものは、quattro以前にも存在した。

アウディの凄さはそこではない。

課題は、

高速走行に耐え、軽く、コンパクトで、量産できる4WD

を作ることだった。

従来型の4WD機構をそのままスポーツクーペへ載せれば、重量が増え、駆動系も大型化する。

それでは速さを得るための4WDが、逆にスポーツ性能を殺してしまう。

アウディが1980年に完成させたquattroシステムは、軽量かつコンパクトで、乗用車への量産搭載に適した永久四輪駆動システムだった。

Audiは後年、このシステムについて「高速走行可能な軽量4WDを大規模量産向けに実現したもの」と位置付けている。

つまりquattroの本当の革新は、

「四輪を駆動した」

ことではない。

スポーツカーとして成立する4WDを作ったことだった。

200PSの5気筒ターボ──音までアウディになった

初代Audi quattroの心臓部も強烈だった。

搭載されたのは2.2L直列5気筒ターボ。

インタークーラーを備え、発売時には147kW=200PSを発生した。

4気筒でも6気筒でもない。

「5気筒」という独特の構成が、アウディのキャラクターを決定づけていく。

直列5気筒特有の不等間隔的に感じられる力強いビートは、後のラリーカーによって世界中のモータースポーツファンへ焼き付けられた。

さらに興味深いのは、この5気筒が単なる歴史的エンジンで終わらなかったことだ。

RS 2、TT RS、RS 3などへ形を変えながら、その思想は後世まで受け継がれていく。

quattro+5気筒ターボ。

この組み合わせは、アウディにとってポルシェの水平対向6気筒にも似た「音で分かるブランドアイコン」になったのである。

ジュネーブで世界を驚かせた「Audi quattro」

完成したAudi quattroは、ジュネーブ・モーターショーで世界へ披露された。

当時、高性能クーペと永久四輪駆動という組み合わせは極めて異例だった。

アウディ自身、このモデルをブランドの再ポジショニングにおける重要な転換点と位置付けている。

ここで重要なのは、quattroが単なる一車種では終わらなかったことだ。

アウディはこの技術を、

「Vorsprung durch Technik=技術による先進」

というブランド哲学そのものへ結び付けていく。

高級車だから高価なのではない。

技術的に面白いから価値がある。

この考え方が、後のアウディをメルセデス・ベンツやBMWと並ぶプレミアムブランドへ押し上げる重要な武器となった。

本当に速いのか?──ならラリーで証明する

新技術には必ず疑いの目が向けられる。

「4WDなんて重いだけでは?」

「スポーツカーには必要ないだろう」

ならば、結果で証明すればいい。

アウディはquattroを世界ラリー選手権へ投入した。

その威力を象徴する逸話が、正式参戦前の1980年に行われたポルトガルのAlgarve Rallyだ。

開発段階のquattroは競技車ではなくコースオープニングカーとして走行したため、正式な順位には含まれなかった。

ところがAudi Traditionによれば、ハンヌ・ミッコラ/アルネ・ヘルツ組は30本のスペシャルステージのうち24本で最速タイムを記録。

もし正式参戦していたなら、約30分差で勝っていた計算だったという。

もはや「可能性がある」というレベルではない。

ラリーの常識そのものが壊れ始めていた。

quattroがライバルメーカーまで変えてしまった

正式に世界ラリーへ投入されると、quattroはその強烈なトラクション性能を証明していく。

アウディは1982年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得。

1983年にはハンヌ・ミッコラがドライバーズタイトル。

さらに1984年にはスティグ・ブロンクビストのドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。

重要なのは勝利数だけではない。

quattroの登場後、ライバルメーカーも本格的に4WDラリーカーを開発するようになった。

つまりアウディは競争に勝っただけではなく、

競争のルールそのものを変えてしまった。

現在のWRCマシンを見れば、四輪駆動は当たり前だ。

その「当たり前」が成立する歴史の大きな転換点にAudi quattroがいたのである。

そして生まれた「短いquattro」

ところが、ライバルも黙ってはいない。

グループB時代になると、ミッドシップ4WDの強烈なマシンが次々と登場する。

アウディには弱点があった。

フロントに縦置きエンジンを搭載するため、どうしてもノーズが長くなり、タイトコーナーでは俊敏性で不利になりやすい。

そこでアウディは大胆な方法を選んだ。

ホイールベースを切り詰める。

こうして誕生したのがSport quattroだ。

開発は1982年夏から進められ、標準quattroよりホイールベースを大幅に短縮。アウディ社内では単純に「the short one(短いやつ)」と呼ばれていたという。

この無骨な社内呼称がなんともエンジニア集団らしい。

ボディにはケブラーまで投入

Sport quattroは単純なショートボディ版ではなかった。

市販仕様は4バルブ化された直列5気筒ターボから225kW=306PSを発生。

登場当時、アウディによればドイツ製市販車として最高出力を誇った。

さらにボディにはアラミド繊維、FRP、カーボン/ケブラー複合材まで投入。

少量生産ゆえにボディ製作はシュトゥットガルトのBaurが担当した。

小規模生産された車両は214台。

つまりSport quattroは、「市販車を少し速くしてレースへ出た」のではない。

ラリーで勝つための技術を成立させるため、市販車まで作った怪物だった。

S1は「フロントエンジン4WD」の執念だった

さらに進化したSport quattro S1では、大型のウイングやスポイラーをまとい、外観はほとんど航空機のようになっていく。

アウディ公式資料では1985年型S1の出力は350kW=476PSとされている。

一方、ライバルはより過激なミッドシップレイアウトへ移行していた。

それでもアウディは、市販車との技術的なつながりを重視してフロントエンジンという基本構成を維持した。

これは効率だけを考えれば不利だったかもしれない。

だが、だからこそS1には異様な迫力がある。

既存のレイアウトを捨てるのではなく、

「この構成のまま、どこまで速くできる?」

という技術者の意地が形になっているからだ。

quattroはアウディそのものになった

初代quattroで完成した技術は、その後も進化する。

1986年には手動ロック式センターデフに代わってTorsenセンターディファレンシャルを採用し、駆動トルクを可変配分できるようになった。

その後もA4、A6、A8、S/RSモデル、TT、R8などへquattro思想は拡大。

現在では機械式センターデフだけでなく、電子制御式や電動車のe-quattroへも発展している。

方式は変わった。

エンジンも変わった。

しかし考え方は変わっていない。

必要なタイヤへ、必要な駆動力を与える。

雪道でIltisを見た技術者が抱いたアイデアは、半世紀近くを経てなおアウディの中心にある。

海外で評価されたのは「速さ」より発想だった

海外でAudi quattroが特別視される理由は、単にラリーで勝ったからではない。

4WDを「悪路を脱出するための機構」から、

「速く走るための技術」

へ変えたことにある。

Audi自身もquattroを、ブランドのプレミアムセグメントへの上昇を支えた重要技術の一つとして位置付けている。空力、5気筒、アルミ構造、そしてquattro──これらの技術によってアウディは独自のポジションを築いていった。

BMWが後輪駆動のハンドリングを磨き、メルセデスが高級車としての完成度を追求する中、アウディは「技術による差別化」という道を強烈に進んだ。

だからquattroは単なる駆動方式ではない。

アウディがアウディになった瞬間を象徴する名前なのである。

一台の軍用4WDが、アウディの未来を変えた

もし雪上テストにIltisが参加していなかったら。

もし技術者がその速さを「オフロード車だから当然」と片付けていたら。

現在のアウディは、まったく違うメーカーになっていたかもしれない。

Audi quattro。

Sport quattro。

S1。

RSモデル。

R8。

そして現在の電動quattroへ。

すべての源流をたどっていくと、雪の中を猛烈な勢いで走る一台の地味なオフロード車へ行き着く。

優れた開発とは、最初から答えを知っていることではない。

誰も気に留めない現象を見て、「なぜだ?」と立ち止まれることなのかもしれない。

アウディが世界へ示した「Vorsprung durch Technik」。

その原点には、そんな技術者らしい好奇心があった。

FAQ

アウディquattroはどのようにして生まれた?

1976~77年冬の寒冷地テストで、アウディが開発に関わったVW Iltisの四輪駆動性能が雪上で非常に優れていたことが発想のきっかけです。その後、乗用車へ4WDを応用する開発が進められました。

初代Audi quattroのエンジンは?

発売当初は2.2L直列5気筒ターボを搭載し、147kW(200PS)を発生しました。インタークーラーと永久四輪駆動を組み合わせた点も大きな特徴です。

quattroは世界ラリー選手権で成功した?

はい。アウディは1982年にマニュファクチャラーズタイトル、1983年にハンヌ・ミッコラがドライバーズタイトル、1984年にはドライバーとマニュファクチャラーの両タイトルを獲得しました。

Sport quattroはなぜ短い?

グループBでの俊敏性を高めるため、標準quattroよりホイールベースを短縮しました。アウディ社内でも「short one」と呼ばれていたと公式資料に残されています。

quattroは世界初の4WD乗用車なの?

「世界初の4WD乗用車」とするのは正確ではありません。quattro以前にも四輪駆動の乗用車は存在しました。Audi quattroの重要性は、高速走行に適した軽量・コンパクトな永久四輪駆動を高性能量産車へ実用化し、モータースポーツでその優位性を証明した点にあります。

 


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