BMWが戦場で刻んだ“勝利の遺伝子”──レース実績で読み解く「駆け抜ける歓び」の真髄

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勝利なくしてBMWにあらず ― レースで育まれた魂

BMWというブランドを語るとき、「駆け抜ける歓び」というスローガンが必ず登場する。しかしその言葉の本当の意味を理解するには、カタログスペックやデザインだけでは足りない。
このメーカーは、**レースという極限の舞台で技術を磨き、人と機械の関係を研ぎ澄ませてきた“戦うブランド”**だからだ。

第二次世界大戦後、ドイツの再建と共に自動車産業が再興し始めた1950年代、BMWはレースを単なる宣伝ではなく「技術開発の実験場」と位置づけた。勝つために開発し、その成果を市販車へとフィードバックする。この循環が、半世紀以上にわたってBMWのDNAを形成してきた。

その結果として生まれた「M」は、もはや一つの記号ではない。
それは、「勝つための技術」「走るための哲学」を象徴する証であり、DTMやル・マン、ニュルブルクリンク24時間耐久など数々の戦場で刻まれた血統の刻印でもある。

第1章:伝説の始まり ― 3.0 CSLが切り拓いたツーリングカーレースの覇道

BMWのレース史を語る上で、1970年代初頭に登場した**3.0 CSL(クーペ・スポーツ・ライト)**の存在は欠かせない。
E9クーペをベースに軽量化と空力チューニングを極限まで突き詰め、ボンネットやドアパネルにアルミを使用し、標準モデルより約200kg軽量化。エンジンは直列6気筒3.0L(のちに3.2L)を搭載し、最高出力は360PSを超えた。

その異様なルックスから、3.0 CSLは欧州メディアから**「Batmobile(バットモービル)」と呼ばれた。大型リアウィングと空力パーツがそう呼ばせたが、走りはまさに怪物。1973年のヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)でデビューすると、いきなり総合優勝。以降1973〜79年の間に6度のチャンピオン**を獲得し、ツーリングカー界を支配した。

「CSLはただのレーシングカーではない。BMWが“走り”に人生を賭けている証だ。」
──『Motorsport』1974年7月号

3.0 CSLで得た空力ノウハウと軽量化技術は、その後の市販車にも大きな影響を与える。CSLは単なる勝利の象徴ではなく、「レースで勝つために市販車を作る」というMの哲学の原点だった。


第2章:M1 Procar ― F1の裏側で繰り広げられた“もう一つの戦争”

1978年、BMWは初のミドシップスーパーカーM1を発表。もともとグループ5用レーシングカーとして開発されたが、規定変更などの影響で計画は難航。だが、ここでM部門は諦めなかった。彼らはF1のサポートイベントとして**「M1 Procarシリーズ」**というワンメイクレースを立ち上げる。

このシリーズは、F1ドライバーとプロチームが同一仕様のM1で戦うという前代未聞の試みだった。直列6気筒DOHC 3.5L「M88/1」は470PS超を発揮し、車重はわずか1020kg。ニュルやモナコで繰り広げられるバトルは、「F1以上にエキサイティング」と評されるほど白熱した。

ニキ・ラウダ、ネルソン・ピケ、アラン・ジョーンズといったF1スターがステアリングを握り、1979年の初代王者はラウダ、翌年はピケが制した。
このM1 Procarで得られたレースノウハウは、のちのM635CSiやM5のエンジン技術に直結していく。

「M1 Procarは、BMWが“走りを神格化している”ことを証明したシリーズだった。」
──『Autosport』1980年3月号


第3章:E30 M3 ― ツーリングカー界を支配した“帝王”

1980年代後半、BMWは再びツーリングカーの頂点を狙う。ホモロゲーション規定を満たすために開発されたのが、E30 M3(1985年)だ。
エンジンはF1技術をフィードバックしたS14型 2.3L DOHC
、最高出力200PS。市販車はわずか1200kgと軽く、剛性とハンドリングも群を抜いていた。

M3の真価が発揮されたのは1987年のDTM(ドイツツーリングカー選手権)。デビューイヤーでいきなり全16戦中10勝、シリーズチャンピオンを獲得。その後もBTCC、WTCC、ETCCなどあらゆるカテゴリーを席巻し、1992年までに通算1500勝以上・50タイトル超という前人未踏の記録を打ち立てた。

イギリスのツーリングカー王者アンディ・スアリーはこう語っている:

「M3はコーナーのたびに“もっと踏め”と語りかけてくる。あの感覚を知ったら、もう他のマシンには戻れない。」

BMWはE30 M3で「市販車とレーシングカーの垣根をなくす」という理想を現実のものとし、ツーリングカーというカテゴリーそのものを塗り替えた。


第4章:耐久レースでの挑戦 ― ル・マンとニュルブルクリンクで刻んだ栄光

1990年代後半、BMWは新たな戦場へ挑む。目標は「世界一過酷なレース」、ル・マン24時間耐久レースだった。

1999年、BMWは名門ウィリアムズF1チームと共同開発したV12 LMRで出場。F1技術を注ぎ込んだ6.0L V12 NAエンジンは約580PSを発揮し、軽量カーボンモノコックと洗練された空力で安定性を確保した。この年、BMWはトヨタ、メルセデス、アウディと激戦を繰り広げ、総合優勝を勝ち取る。

「BMWはル・マンで“歓び”を証明した。V12 LMRは芸術と技術の融合だった。」
──『Le Mans Racing』1999年6月号

さらにBMWは、ニュルブルクリンク24時間でも強さを見せる。E46 M3 GTRやZ4 GT3、M6 GT3などで総合優勝を果たし、「耐久のBMW」という新たな称号を手に入れた。


第5章:F1での挑戦 ― ブラバムBT52が切り開いた“ターボ革命”

1980年代初頭、F1は“ターボ時代”の幕開けを迎えていた。ルノーが先陣を切って過給機を導入すると、ホンダやフェラーリ、TAGポルシェなどが次々と参入。その中でBMWは、「量産エンジンをベースにF1を制する」という前代未聞の挑戦に乗り出した。

BMWが投入したのは、1.5L直列4気筒ターボ「M12/13」――元は量産車のM10ブロックをベースとするが、最大ブースト時には1,400馬力超を発揮する“地上最強の直4”だった。

1983年、ブラバム・BT52にこのエンジンを搭載したネルソン・ピケが、見事F1ドライバーズチャンピオンを獲得。BMWはわずか2年で頂点に立つという偉業を達成する。1.5Lという小排気量から生み出される驚異的な出力は、当時のメディアから「ターボモンスター」と恐れられた。

「BMWのターボは、ロケットのような加速を見せた。グリップを失ったリアタイヤが白煙を上げながら地面を掻きむしる。それは恐怖と歓喜の境界線だった。」
──『Autosprint』1983年10月号

その後もBMWはブラバム、アロウズ、ベネトンなど複数チームにエンジンを供給し、F1のターボ時代を席巻した。しかし1987年シーズン限りで一度F1から撤退する。だがその挑戦は終わりではなく、後の“第二幕”への布石でもあった。


第6章:BMWとウィリアムズ ― 2000年代F1への再挑戦

1999年、BMWは再びF1へと戻ってくる。今度は名門ウィリアムズF1チームと手を組み、完全なワークス体制での挑戦だった。新開発のV10エンジン「E41」から始まり、翌年には「P80シリーズ」として熟成が進むと、そのポテンシャルは一気に花開く。

2001年のサンマリノGPではラルフ・シューマッハが初優勝、2003年にはウィリアムズBMWがコンストラクターズランキング2位に輝くなど、フェラーリの独走を脅かす存在となった。エンジンは最高回転数19,000rpm超、900馬力を発揮し、メディアは「最も攻撃的なV10」と評した。

「ウィリアムズBMWのV10は、爆発的なパワーと耐久性を兼ね備えていた。ピットレーンでその咆哮を聞けば、他チームのメカニックすら足を止めた。」
──『F1 Racing』2003年7月号

しかし、両者の関係は次第に悪化。2005年限りで提携は終了し、BMWは翌2006年からザウバーF1チームを買収して「BMWザウバー」として参戦する。


第7章:BMWザウバー ― 優勝と挫折の間で

BMWザウバーは、初年度から着実に成績を伸ばし、2007年にはコンストラクターズランキング2位(マクラーレン失格による繰り上げ)を獲得。そして2008年、カナダGPでロバート・クビサが初優勝。BMWにとって21年ぶりとなるF1勝利だった。

だが、頂点への道は険しかった。2009年、KERS(回生エネルギーシステム)の開発遅れとレギュレーション変更への対応に失敗し、チームは低迷。結果的に、BMWは2009年シーズン限りでF1から撤退を決断する。

その理由について、当時のCEOノルベルト・ライトホーファーはこう語っている:

「我々は勝つためにF1に戻ってきた。だが、モータースポーツの未来は持続可能性と新技術にある。BMWは次の戦場へ進む。」

その「次の戦場」とは、電動化と耐久レースだった。


第8章:GTマシンの進化 ― M6 GT3とM4 GT3の戦い

F1撤退後、BMWは再びGTカテゴリーに焦点を当てる。2016年にデビューしたM6 GT3は、4.4L V8ツインターボで585PSを発揮し、世界中のGT選手権で勝利を重ねた。2018年のスパ・フランコルシャン24時間では総合優勝、IMSAウェザーテック・スポーツカー選手権でも数々の勝利を挙げ、「耐久レース界の王者」として名を轟かせた。

そして2022年、後継モデルとなるM4 GT3が登場する。3.0L直列6気筒ツインターボ(S58)を搭載し、最高出力590PS超。空力、冷却、エルゴノミクスが大幅に進化し、ニュルブルクリンク24時間やGTワールドチャレンジで圧倒的な存在感を示している。

BMW M Motorsportの責任者アンドレアス・ロースはこう語った:

「GTレースは、Mブランドの“本能”そのものだ。我々はただ勝つためではなく、走る歓びを次世代へ伝えるために戦っている。」


第9章:電動モータースポーツ ― “i”が切り拓く新たな戦場

21世紀に入り、自動車業界は大きな転換点を迎えた。内燃機関の性能競争から、電動化と持続可能性の時代へ。BMWはこの潮流の中で、2014年にフォーミュラEへ参戦し、「i Motorsport」という新しい挑戦を始める。

iFE.18/iFE.20といったマシンは、BMW i部門とM部門が共同で開発し、電動パワートレインの効率と制御技術を徹底的に追求。2020年のサンティアゴePrixではマクシミリアン・ギュンターが劇的な勝利を挙げ、BMWの名を再び新しい戦場で轟かせた。

「BMWはレースの本質を失っていない。パワーソースが変わっても、“歓び”の哲学は不変だ。」
──『Formula E Magazine』2020年1月号


第10章:ドライバーとエンジニアが語る“戦うBMW”

BMWのレース史は、単なる勝利の記録ではない。そこには、マシンと共に戦ってきた人々の物語がある。

ネルソン・ピケ(1983年F1王者)

「BMWのターボは“爆弾”みたいなものだった。ブーストが掛かる瞬間、マシンはロケットのように飛び出した。」

ヨルグ・ミューラー(ニュル24時間優勝ドライバー)

「BMWは勝つためだけでなく、走る歓びを提供するために戦っている。M3での一周は、どんなGTカーよりも“人と一体”になれる。」

アンドレアス・ロース(M部門責任者)

「私たちにとってレースは研究室であり、信念そのものだ。結果は大切だが、それ以上に“走りの本質”を磨くことが使命だ。」


終章:「駆け抜ける魂」は止まらない

3.0 CSLが空力で時代を切り裂き、M1 ProcarがF1の裏で熱狂を生み、E30 M3がツーリングカー界を支配した。V12 LMRはル・マンを制し、M6 GT3とM4 GT3は耐久の王座に立った。ターボ革命を起こしたF1、そして電動の新戦場へ――。

BMWのレース史は、「勝つこと」以上の意味を持っている。それは、走る歓びを探求し続ける姿勢であり、技術と情熱の結晶だ。

そしてそのDNAは、今も脈々と息づいている。
ニュルブルクリンクで火花を散らすM4 GT3のブレーキローターにも、街中を駆け抜けるM3コンペティションのステアリングフィールにも、あの“戦う魂”が宿っている。

レースはBMWにとって、終わることのない旅路だ。
過去も未来も、「駆け抜ける歓び」は常に戦いの中で磨かれ続ける――それが、このブランドが“特別”であり続ける理由である。

 


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