「BMWらしいクルマ」と聞けば、何を思い浮かべるだろう。
直列6気筒。後輪駆動。50:50にこだわる重量配分。ドライバー側へ向けられたコクピット。そして、アクセルを踏み込んだ瞬間に感じる独特の一体感。
だが、このキャラクターは最初から完成していたわけではない。
むしろBMWは、企業存続さえ危ぶまれた時代に「自分たちはどんなクルマを作るメーカーなのか」という問いと向き合い、その答えを一台ずつ積み重ねてきた。
BMWの開発史とは、スペック競争の歴史ではない。
ドライバーをクルマの中心に置くという思想を、何十年にもわたって磨き続けてきた物語なのである。
BMWを救った「Neue Klasse」
現在のBMWにつながる決定的な転換点が「Neue Klasse(ノイエ・クラッセ/ニュー・クラス)」だった。
1950年代末のBMWは経営的に厳しい状況にあり、1959年には会社の将来を左右する局面を迎えていた。大株主となるヘルベルト・クヴァントの関与によって独立存続への道が開かれ、その後BMWは新しい中型車の開発へ力を注いでいく。
そこで生まれたのがBMW 1500を起点とするNeue Klasseだ。
BMW Group Classicも、このシリーズによって生産開始後に経済的なブレイクスルーを果たし、現在まで続くBMW成功の基礎が築かれたとしている。
1500がフランクフルト・モーターショーで披露されたのは1961年。1,499ccの直列4気筒は80PSを発生し、5人が乗れる実用的な4ドアセダンでありながら、BMWらしいスポーティさを前面に押し出していた。
ここが重要だ。
BMWは「スポーツカーを作る」のではなく、普通に使えるセダンをスポーツカーのように気持ちよく走らせる方向へ舵を切ったのである。
後の3シリーズ、5シリーズへ続くDNAは、この時代に急速に形作られていった。
小さな「02」がBMWのキャラクターを決定づけた
Neue Klasseの思想をさらに凝縮したのが、1960年代に登場した02シリーズだった。
軽量なボディ、後輪駆動、ドライバー中心の操作系、ダイレクトなレスポンス。
BMW自身も02シリーズについて、「Sheer Driving Pleasure」というブランド思想を具体的なドライビング体験へ変えた存在と説明している。さらに、その考え方は1975年登場の初代3シリーズ(E21)へ受け継がれた。
つまり、現在まで続く3シリーズの原点をたどれば、単なる車格の系譜ではなく、「軽く、素直に曲がり、ドライバーが操る」という思想へ行き着く。
BMWが後輪駆動に長くこだわった理由も、単なる伝統ではない。
ステアリングを担う前輪と駆動を担う後輪の仕事を分け、アクセル操作によって車体姿勢をコントロールする。
クルマ好きがBMWに感じる「あの感覚」は、数字だけでは表現できない設計思想から生まれている。
「ホフマイスター・キンク」は実はBMWの発明ではない?
BMWデザインのトリビアとして面白いのが、Cピラー付近で前方へ折れ曲がる「ホフマイスター・キンク」だ。
BMWの象徴的なデザインとして知られているため、BMWが発明したものと思われがちだが、BMW自身の解説によれば、この造形そのものをBMWやヴィルヘルム・ホフマイスターが発明したわけではない。
類似した処理は1940年代の米国車やイタリア車などですでに見られたという。
BMWでは1960年代初頭から本格的に取り入れられ、ホフマイスターのもとでブランドのデザイン言語として定着していった。
「発明した」のではなく、BMWらしさとして完成させた。
この違いを知っていると、古いBMWを見る楽しみが一つ増える。
BMW Mは「レース屋」から始まった
BMWの開発史が一気に熱を帯びるのがBMW Motorsport GmbH、現在のBMW Mだ。
Mの思想はシンプルである。
モータースポーツの魅力を、日常で使えるクルマへ持ち込むこと。
その初期を象徴する3.0 CSLは徹底した軽量化と空力開発によって生まれ、BMW Mによれば欧州ツーリングカー選手権で圧倒的な実績を築いた。
ここからMの哲学が見えてくる。
巨大なエンジンを載せればいいわけではない。
削れる重量を削る。シャシーを磨く。空力を整える。そして最後にエンジンを研ぎ澄ます。
速さを馬力だけで作らない。
これこそBMW Mが現在まで受け継いできた考え方の一つだ。
M1──BMWが本気で作ったミッドシップ
そしてBMW開発史最大級の異端児がM1である。
BMW Motorsport GmbHにとって初の完全自社開発モデルとして企画されたM1は、当初からモータースポーツ参戦を強く意識したミッドシップスポーツだった。
しかし、その開発は決して順風満帆ではなかった。
開発期間が長期化する間に競技規則も変化し、当初想定していたレース計画は難しくなってしまう。
普通なら「計画失敗」で終わりかねない。
ところがBMWは、M1を走らせるために専用レースシリーズまで作ってしまった。
それが1979年と1980年に開催されたProcarシリーズである。F1欧州ラウンドのサポートレースとして行われ、F1のトップドライバーたちまで同じM1で競った。
計画変更を伝説へ変えてしまうあたりが、いかにもBMW Mらしい。
M1にはイタリアの血も流れている
M1の開発には、もう一つ面白い物語がある。
あのウェッジシェイプを描いたのは、イタリアの名匠ジョルジェット・ジウジアーロだ。
BMW Mによると、1975年にItaldesignへボディデザインが依頼され、その造形にはポール・ブラックが手掛けた1972年のBMW Turboコンセプトの影響もあった。
つまりM1は、
ドイツのエンジニアリング × イタリアのデザイン
という、クルマ好きにはたまらない組み合わせだった。
ロード仕様は3.5L直列6気筒を搭載し、最高出力277hp、最高速度約265km/h。総生産台数は460台とBMW Mが記録している。
さらに、このM88系エンジンの思想は後のM635CSiや初代M5へつながっていく。
ミッドシップスーパーカーの心臓が、やがて超高速セダンへ。
ここにもBMWらしい開発の連続性が見える。
M3は「市販車を速くした」のではなかった
初代M3(E30)の成り立ちもBMWらしい。
普通の3シリーズに強力なエンジンを載せただけのモデルではない。
モータースポーツで勝つための車両を成立させ、それを公道へ落とし込むという発想だった。
高回転型S14直列4気筒、専用ボディパネル、ワイドフェンダー、空力処理。
BMW MはE30 M3を「最も成功したツーリングカー」と位置付け、その後の高性能スポーツセダンというカテゴリーそのものに大きな影響を与えたモデルとしている。
だから初代M3には、現代の大排気量Mモデルとは違う凄みがある。
アクセルを開け、回転を上げ、シャシーを使い切る。
速さを所有するのではなく、自分で引き出すクルマだった。
BMW開発陣が守り続けてきたもの
BMWは時代とともに大きく変化している。
自然吸気からターボへ。
油圧制御から高度な電子制御へ。
そして現在は電動化へ。
それでも歴史をたどると、不思議なほど一本の線が見えてくる。
Neue Klasseが作ったスポーツセダンという思想。
02シリーズが研ぎ澄ました軽快さ。
M1が証明したエンジニアリングへの執念。
M3がサーキットから持ち帰ったレーシングDNA。
BMWが長年作ろうとしてきたものは、単純に「速いクルマ」ではない。
運転する人間が主役になれるクルマなのだ。
BMWの開発秘話を知ったあとで3シリーズやMモデルのステアリングを握れば、見え方は少し変わるかもしれない。
キドニーグリルの奥にはエンジンだけではなく、倒産危機さえ乗り越えながら「走る歓び」を商品にしようとしてきた技術者たちの執念が詰まっている。
FAQ
BMWの現在につながる転換点となったモデルは?
Neue Klasseが非常に重要です。BMW Group Classicは、このシリーズによってBMWが経済的なブレイクスルーを果たし、現在まで続く成功の基礎が築かれたと説明しています。
BMW 1500はどんなクルマだった?
Neue Klasse最初のモデルで、1961年のIAAで発表されました。1,499cc直列4気筒で80PSを発生し、スポーティさと実用性を両立した4ドアセダンでした。
BMW M1は誰がデザインした?
ジョルジェット・ジウジアーロです。BMW Turboのデザイン要素を受け継ぎながら、ミッドシップレイアウトに適した低く鋭いウェッジシェイプへ仕上げられました。
BMW M1は何台作られた?
BMW Mの公式資料では総生産台数460台とされています。ロード仕様は3.5L直列6気筒で277hpを発生しました。
BMWらしい「駆けぬける歓び」はどこから生まれた?
現在につながる思想はNeue Klasseから02シリーズの時代に明確になっていきました。BMW自身も02シリーズを、軽量ボディ、後輪駆動、ドライバー中心の設計によって「Sheer Driving Pleasure」を具現化したモデルと位置付けています。
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